PROFILE


-高 木 淳 也 Junya Takaki Profile-

1965年7月15日生 福岡県出身。

1981年 JAC(ジャパンアクションクラブ)入団。

1983年 アクション俳優としてテレビドラマ主演でデビュー。

その後、歌手、プロデューサー、監督、脚本家、政治家、ジャーナリスト、(宗)修練寺院 心美庵 僧侶 、運動脳科学研究者、ラジオパーソナリティとして活躍。

プロデューサー、原作、監督、脚本等、手掛けた作品は12作品。

2013年 アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市郡政府より、Martial Arts(武術)スペシャリストとして招聘され、米国行政機関コーチ、アメリカUFCジムコーチ、ハワイ陸軍国家警備隊兵士コーチ等、コーチとして活動の場を広げている。

2021年 北九州学術研究都市に『北九州学研都市・運動脳科学研究所』を開設。
現在、国立九州工業大学と運動脳科学の共同研究がスタートし、運動脳科学研究者として活動している。

  • 経 歴
  • 元アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市郡政府特別顧問(2014-2020年)
  • アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市郡功績賞受賞(2013年度)
  • UFCジムコーチ(2015年)
  • ハワイ陸軍国家警備隊兵士コーチ(2019年)
  • NPO法人武道の学校 理事長
  • 北九州学研都市・運動脳科学研究所所長(2021年)
  • 国立九州工業大学 運動脳科学共同研究研究者(2021年~)
  • (宗)修練寺院 心美庵 僧侶
  • 日本アカデミー賞協会会員
  • 元自民党公認福岡県芦屋町議会議員(最終役職 副議長)
  • 元明治大学法学研究科犯罪学研究所参与
  • 元NPO法人ポリスチャンネルプロデューサー(理事長 第12代警察庁長官 山田英雄)
  • 元日本映画監督協会会員

  • 特技&資格
  • (公財)日本スポーツ協会公認スポーツ指導者 空手範士九段(空手歴55年)
  • (公財)日本パラスポーツ協会 初級障がい者スポーツ指導員
  • メンタルヘルスコーチ(日本スポーツ精神医学会認定 メンタルヘルス運動指導員)
  • Adult and Pediatric First Aid/CPR/AED certificate given by American Red Cross(救急救命上級技能認定者)
  • 乗馬、ダイビング、セスナ飛行(ハワイ飛行クラブ会員)

 



1969年

4歳で空手を始め、14歳で極真空手福岡県分支部指導員を務める。


極真会館本部にて強化稽古に参加(東京池袋・当時)


1981年

JAC(ジャパンアクションクラブ)入団(16歳)。入団直後、空手部門コーチに就任。





1983年

TV初主演「カンフーチェン」シリーズでアクション俳優デビュー(17歳)。読売・日本テレビ系列で全20話が製作された。

挿入歌「カンフーチェン」で歌手デビュー。



初主演映画「伊賀野カバ丸(東映)」では、念願だった千葉真一、真田広之と共演を果たし、大がかりなスタント・アクションにも挑戦(18歳)。

主題歌「青春まるかじり」は、真田広之、高木淳也が協力して発売された。



TV主演「青春はみだし刑事」主演 全17話(読売・日本テレビ系)。

主題歌「嵐の街ロンリー」を発売。

テレビドラマ初の試みとして、毎週主役が吹き替えなしでスタント・アクションを交えた大掛かりなアクションが放送された。

当時は、交通規制も行わず国道の歩道橋からトラックの荷台にダイビングするなど、現代では考えられないアクションシーンが撮影されている。

ラジオ番組 高木淳也の「ザ・ミッドナイトメッセージ」がスタート (RKB毎日放送 毎週日曜日 24:40~24:50)。



1984年

中国・香港合作 主演映画「忍者&ドラゴン」(19歳)。

撮影中に右脚副側靭帯切断、膝蓋骨骨折。18㌢に及ぶ手術を行い、リハビリに専念。

ギプスで足を固定したまま、主題歌が予定されていた「蒼い疾走」をレコーディング。全国キャンペーンツアースタート。

レコード発売は、シングル6枚(協力曲含む) アルバム2枚。

生放送ラジオ番組 高木淳也と北原佐和子の「真夜中ギンギラ大放送」スタート (ラジオ関西 1984年 毎週木曜日 24:00~26:00)。




1985年

単身渡米しプロモーションを開始(20歳)。


ブルース・リー主演作『燃えよドラゴン』を製作したワーナー・ブラザース副社長等、大手映画配給会社役員と交流を深めた。


1988年

復帰第一作、初監督・脚本・プロデューサー・主演等、一人八役をこなした「バッドヒストリー」を製作(23歳)。

総製作費2億8千万円。若山富三郎等、豪華俳優陣が出演し、矢沢永吉の「止まらないHa~Ha」を劇中歌でカバー。

サンライズマッキー(代表取締役 矢沢永吉 当時)と音楽著作権に関する契約を締結。

「止まらないHa~Ha」作詞家ちあき哲也が、直筆で劇中で使用される楽曲に詞を提供した。


ちあき哲也氏直筆の歌詞(写真右)


1989年

映画「バッドヒストリー」が日本で初めてのディスコ・ロードショー上映。

六本木界隈のディスコ33ヶ所を占拠。1日で2万人を動員する(24歳)。

 

 

1990年

映画「バッドヒストリー」が米国ビバリーヒルズで開催された「アメリカン・フィルム・マーケット」に正式出品。ワールドプレミアを獲得する。

この年、後遺症による肉体の限界を表明して長期休養を公表(25歳)。



1995年

青少年育成団体実戦空手息吹之會を地元福岡県で創設(30歳)。

最高顧問に第92代内閣総理大臣 麻生太郎衆議院議員が就任。


1996年

国際ジャーナリストとして始動(31歳)。

懸命にリハビリを続けながらジャーナリズムの構築を計り、徹底して追究したアンダーグラウンド・ルポによって「アンダーカバー・ジャーナリスト」の異名を得る。




1997年

LAPD(ロス市警)、米国司法全面協力のもと、アメリカ最大ギャング「クリップス」、「ブラッズ」のドラッグ・ウォー(麻薬 抗争)ドキュメンタリーを完成(32歳)。

 

 

1999年

福岡8区自民党公認地方議会議員として当選(33歳)。

自由民主党遠賀郡連合支部幹事としても活躍。

一般質問を4年間一度も休むことなく、行政問題を追究し、当選一期35歳で副議長に就任。 当時最年少・最短の就任だった。


第92代内閣総理大臣 麻生太郎先生と


2001年

ハワイ州に法人設立(36歳)。

MOVIE AGENT USA Co., Ltd.CEOに就任。



2003年

モンゴル政府公認 旭鷲山発展基金 日本支局顧問に就任(38歳)。



2004年

週刊実話でヤクザとチャイニーズマフィアを題材とした、リアル小説「龍神」が連載スタート(39歳)。

その後、 数々の週刊誌、月刊誌に「ヤクザ」、「マフィア・ギャング」、「ドラッグ」、「テロ」、「拉致問題」等を掲載。

講演活動も多くなり、2000名規模のセミナーが開催される。



「実録・東組抗争史 閻魔の微笑」特別出演、「修羅の門Ⅰ・Ⅱ」特別出演(公開2005年)。

週刊実話で連載されていたリアル小説「龍神」が映画化。久し振りにメガホンを取り、監督・主演を務めた。

中国から密航してきた“漢”が、日本でチャイニーズマフィアとして成り上がり、ヤクザとして生きていく“漢”と壮絶な抗争を繰り広げるリアル小説に基づいた任侠映画を制作した。



東京営業所を六本木ヒルズにオープンし、裁判紛争調査機関(福岡県公安委員会第90070018号)をスタート。

企業法務にかかわるコンプライアンス・コンサルティングを事業化した。



「実録 絶縁状」特別出演。「(暴)組織犯罪対策部捜査四課」特別出演。

また、公私共にお世話になっている北野 武監督作品「TAKESHIS’」にも出演。

六本木で二人で飲んでいる時に決まった、という逸話を残している。



2005年

外務大臣(当時)麻生太郎後援会(至誠会)会長に就任(40歳)。



外務大臣(当時)麻生太郎先生と


警察庁OBで組織されたNPO法人ポリスチャンネル(理事長 第12代警察庁長官 山田英雄)に、元警察庁長官山田理事長からの推薦で入会。その後、プロデューサーに任命され、10年間警視庁及び福岡県警等を担当して活躍した。



2006年

明治大学法学研究科犯罪学研究所において参与として2年間在籍(41歳)。

「脳科学」をテーマに「思考は変えられる」、「成功法則は存在する」がオフィシャルブログで連載された。



2007年

「実録 外道の群れ 流血の鎮魂歌」主演(42歳)。

人気漫画「ゾク議員」をプロデュースし、監督・主演を務めた。  



2008年

企画・プロデューサー・脚本・監督・主演として、半年間で「新まるごし刑事Ⅰ・Ⅱ」、「ニッポン非合法地帯Ⅰ・Ⅱ」、「ジャングルクロウ」5作品を製作。スタント・アクションを連発し、世界記録へ挑んだ。ハワイを中心にプロモーションを展開する(43歳)。

「爆破ダイビング」、3台の車がクラッシュするボンネットを飛び移る「カークラッシュ・ジャンピング・ホップ」、ノーマスクで全身火だるまになり行った「ノーマスク・ファイヤーダイビング」等、大がかりなアクションを展開した。

Youtubeでは、100万再生超えを記録した。

 


2011年

東日本大震災復興支援プロジェクトを発足(46歳)。

青少年育成団体実戦空手息吹之會を中心に日本赤十字社特別社員として、 資源物回収費用全てを義援金支援とする5ヵ年計画を推進。

その様子は、SNSで克明に伝えられ、ファンを始めとする支援の輪が広がった。

高木淳也公式サイトに専用メールボックスを設置し、激励のメールは5年間で数万件に及び、累計4,000人以上の方々が、被災地への寄付や同様の活動を宣言し、復興支援に取り組んだ。

5年間で回収した資源物は、45トン755㌕。資源物の売上金が270,623円。行政奨励金が267,920円で、合計が538,543円。

高木が日本赤十字社を通じて、寄付を始めたのが2011年4月4日で、その個人の寄付金を全て、実戦空手息吹之會の名義に変え、日本赤十字社に571,000円が寄付され、新たに高木個人の寄付(非公開)も行われた。

その他にNPO法人ポリスチャンネルに災害地区犯罪防止啓発として、1,000,000円を寄付。

その全てを情報公開し、経費や人件費等、一切を経費計上せず、文字通り全額を寄付して、「復興支援プロジェクト!5年計画」は終了した。

青少年育成に関して社会貢献の重要性を訴え、「肉体も精神も惜しまず社会貢献に投資せよ。大きな学びがある」と啓発し続けている。



地元福岡県にて、市民団体 OMBUDSMAN 行政問題NGOを発足し、約20案件に渡る調査及び情報公開請求を開始。

  • 芦屋町倫理条例に関する調査
  • 森林法第25条 保安林指定区域誤認調査
  • 社会福祉法人芦屋町社会福祉協議会設立における法令調査
  • 芦屋町ホームページ作成料契約に関わる調査
  • 仕組み債6億円購入の細部調査
  • 随意契約法令等

上記調査を行い是正処置を要求。

これに対し自治体が拒否したため、 7月に弁護士に依頼せず、高木が自ら法廷で争う本人訴訟で芦屋町(町長 波多野茂丸氏)を提訴した。

裁判で敗訴した後、自治体から是正処置を出来る限り受け入れるとの判断により、控訴せず審議を行っている。



2012年

復興支援プロジェクトの活動が認められ、日本赤十字社銀色有功章受章(47歳)。


2013年

アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市より、招聘され渡米(48歳)。

Martial Arts(武術)スペシャリストとして政府機関、司法機関、一般へ向けてのデモンストレーションを各地で開催。



復興支援プロジェクトの活動が認められ、日本赤十字社名誉副総裁である秋篠宮妃紀子(現文仁親王妃紀子)さまから日本赤十字社金色有功章を拝受する。

アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市郡功績賞を受賞。

アメリカでの活動に加え、過去に行ってきたアクション及びジャーナリストとしての活動が高く評価され、ハワイ州ホノルル市郡政府に全てが記録された。



アメリカMMA専門雑誌に「TAKAKI METHOD~闘技の哲学」を発表。

武道における「心技体」を「脳機能(心の定義)・食育(心身向上の定義)・運動(筋力・身体能力向上の定義)」と定義付けた高木淳也独自のメソッド。脳科学の理論を展開している。



2014年

アメリカ合衆国ハワイ州商務省MMA(総合格闘技)諮問委員就任(49歳)。

MMA(総合格闘技)に関する試合やドーピング等、法規草案に携わり数多くの試合会場を視察して取り組んだ。



アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市郡政府特別顧問に就任。 日本人就任は、過去の記録に存在していない。




2015年

ホノルル市で開催されたハワイ州カンファレンスに出席。他、ホノルルポリス銃規制会議やイベントに参加(50歳)。



American Red Cross(米国赤十字社)Fast Aid(救急救命上級技能認定者)取得。

UFCジムで、日本人では始めてのコーチを行う。多くのコーチ陣も参加した。

「TAKAKI METHOD=タカキメソッドの理論はスピード」と教示し、多彩な蹴り技とパンチテクニックをコーチしている。

護身術用として、弧拳やフィンガー(指先)における眼球や急所への攻撃も披露された。

高木淳也の支援者として、ホノルル市検察やホノルル市議会がアメリカでの活動に対する推薦状を発行。



2016年

実父が癌(がん)であることをSNSで公表。原発性肺癌と転移性脳腫瘍を外科療法、化学療法を行わずに闘っている様子をSNSで公表した(51歳)。サイバーナイフ(放射線治療)による脳腫瘍への治療を行い、肺癌に関しては治療を行わず、自宅療養(運動・食事療法)で高齢の実父の癌闘病を家族で支えた。

笑顔溢れる闘いは2年間続き、2018年に心房細動による3回目の脳梗塞を発症し、緊急搬送。処置が早く、3日間でリハビリが再開。しかし、院内感染による肺炎を発症して他界。

高木「インシュリン(糖尿病)を始めとする薬物を一切使用せずに、癌を含めた全ての病と闘ってきたのに最後が院内感染で、大量の薬が投与され、見るに耐えないほど弱り果てていった。残念でならない」と、SNS上でコメントした。



ロサンゼルス・ハリウッドでプロモーションを展開。

国内においても初級障がい者スポーツ指導員の資格を取得し、幅広い世代に運動プログラムを作成するコーチとしても活躍している。



2017年

実戦空手息吹之會『第4次年次計画』を公表(52歳)。

武道教育と社会教育の融合を目指した教育方針を打ち出した。

12月には、『東京2020応援プログラム・東京2020オリンピック・パラリンピック1000日前イベント』認証イベントを開催。

 


2018年

実戦空手息吹之會設立23周年を機に『NPO法人武道の学校』を設立(53歳)。

『第4次年次計画』を引き継ぎ、特定非営利活動法人として更なる事業計画案を提起。

ハワイとも連携させる準備を開始した。


脳科学を追求し、814枚に及ぶMRI、国際特許技術『MRI脳 個性分析画像法』を使用して、脳のスペシャリストで、医師・医学博士加藤俊徳先生の診断を受け、自らのブレイン(脳)をハッキング。『スペシャリスト・プログラム』を作成。

アメブロ連載第2弾『スペシャリストになろうよ!』をスタート。



2019年

2020年アメリカ合衆国大統領選挙民主党指名候補Tulsi Gabbard下院議員が推薦人として署名した。



ハワイ陸軍国家警備隊兵士コーチがスタートする(54歳)。

 

ハワイ陸軍国家警備隊少佐(当時)からの招聘レター


 

 

 

 


12月、中国湖北省武漢市で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)発症を受け、NPO法人武道の学校指導員による対策班を結成。


2020年

2月20日より新型コロナ対策を実施し、大会及び催し物を全てを辞退。

3月1日  本部事務所、関連法人、管理ビルの全面封鎖を開始。事実上の自粛対策を行う。

4月7日 7都府県に発出された緊急事態宣言を受け、『オンライン空手クラス』をスタート。

NPO法人武道の学校抜本改革に着手(55歳)。


2021年

『NPO法人武道の学校』第5次年次計画を発表。

SDGs(持続可能な開発目標)活動を更に強化し、国内において人材育成に着手。


4月 内閣府地域創生SDGs官民連携プラットフォームに参加。

 


6月 外務省 「JAPAN SDGs Action Platformホームページに、NPO法人武道の学校がSDGs貢献にコミットする団体・取組事例(5ゴール)として掲載され、『SDGsジャパンロゴマーク』の使用が認められる。*SDGs ジャパンロゴマークは日本政府のSDGs推進ロゴです。


7月 北九州学術研究都市に北九州学研都市・運動脳科学研究所を開設(56歳)。



10月 国立九州工業大学 と『運動脳科学共同研究』がスタート。


責任研究者 大学院生命体工学研究科 人間知能システム工学専攻 夏目季代久教授と。


11月 「北九州SDGs登録事業者(第1次)」として登録される。



同月、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会より、東京2020参画プログラム登録主体団体として感謝状を授与。




2022年

1月 武道僧侶として厳行(山岳)をスタート。

仏教に脳科学を取り入れ、瞑想法「武禅」を始めとする研究に着手する。



6月 師僧を高野山真言宗宿老 傳燈大阿闍梨 大僧正 池口恵観法主と仰ぎ、『護摩行』に参ずる。

恵観法主は、100日間続けて護摩行を行う秘法『100万枚護摩行』を史上初めて達成し、“炎の行者”と称される高僧。



国内に2000万人を超えると言われている神経障害性疼痛(慢性疼痛)における扁桃体、前帯状回、海馬、海馬傍回部位の灰白質体積の低下に対して、厚労省が推奨するエビデンス(科学的根拠)レベル「I」「B」である「瞑想・マインドフルネス」を基軸に、「自律神経」を刺激する、ENS-PREP(痛み軽減のための運動脳科学)を考案し、神経伝達回復における脳機能研究をスタート。

レントゲンを基に矯正が正しく行われているか、医師たちとの共同で研究が進められている。



9月 1982年、初主演TVドラマ『魔拳!カンフーチェン』香港ロケ地より始めた『般若心経100万回修唱』(57歳)。

2022年に40年を迎え、500を超える国内外寺社(神社仏閣)巡礼修練を持って『般若心経100万回修唱』を無魔成満。
(宗)修練寺院 心美庵 武道僧侶として『生涯修唱』を宣言し、武道修練(53年当時)とあわせて『護摩行』、『山行』と過酷な行に挑み続けている。

国内外寺社(神社仏閣)巡礼修練の一部をSNSで公開している。



2023年

1月 「福岡県SDGs登録事業者(第1次)」として登録される。



2月 「国立九州工業大学 運動脳科学共同研究」において、幼年期から大学生までの脳波測定を開始。



3月 (宗)修練寺院心美庵が、NPO法人武道の学校と協働で、「寺カフェ・*アルツハイム・ハーモニー」を開催。「芦屋町福祉課 高齢者支援係」が講座を行い、 「厚労省認知症サポーター事業」を開催。*ドイツ語で「高齢者の家」を意味するが、日本ではアルツハイマー病のことを指すことが一般的。午後からは、「福岡県海岸愛護団体(NPO法人武道の学校)」として、「クリーンビーチ(海岸清掃)」を開催。



5月 ヤングケアラー(家族の世話や介護を担う18歳未満の子ども)や自殺行為に及ぶ子どもたちの「自殺防止ネットワーク・ハートtoハート・ヘルプライン」を設立。この組織の基盤が、食料支援基金を使用して、「こども食堂」を運営する団体を支援する「ハートフル・フードドライブ」であり、今回、遠賀信用金庫が主導する「フードドライブ」に参加し、40食分の食料支援を行った。



9月 福岡県下の「こども食堂」にて、運動脳科学研究に基づいた1分空手エクササイズ「Karate Boosting Brain(脳を活性化する空手)」の指導がスタート(58歳)。

あわせて、ENS-PREP(痛み軽減のための運動脳科学)の実演が行われた。頭痛や肩こり、腰痛等の慢性疼痛を軽減させるエクササイズである。

北九州市「食品ロス削減サポーター」登録団体として、「食べもの残しま宣言!」活動を行っている。



10月 NPO法人武道の学校の代表として、FMラジオ番組に生放送出演。番組では、「こども食堂」支援や「運動脳科学研究」における活動の内容や目的についてトークした。



2024年

4月 FMラジオ「仏教×脳科学 インナーピースラジオ」生放送スタート。40年ぶりにラジオパーソナリティを務める。



7月 「大規模国際学会・NEURO2024」にて、国立九州工業大学との共同研究成果をポスター発表で行う。